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東京大学入学式の祝辞から見る上野千鶴子氏の金メッキと社会学風ドラッグの依存者

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フェミニスト上野千鶴子氏が2019年度東京大学入学式にて述べた祝辞が賛否両論を呼ぶこととなりました。

 

www.u-tokyo.ac.jp

 

祝辞という形でありながら持論を展開し、彼女の賛同者は東大の入学式でよくぞ言ってくれたと拍手を送っている状況です。

 

内容をざっくりまとめるとこういったところでしょうか。

 

「女は勉強しなくていい」という社会の空気により女性は抑圧されており、勉強においても社会においても不利益を被っている。医学部入試における不正入試が示すように世の中の歪みにより努力しても結果に結びつかないこともあって、あなたたちが東大に入れたのも努力だけでなく環境が恵まれていたおかげなんだから、自分の力を自分だけでなく他人のためにも使おう。たとえどんな困難が来ようとも生きていける知を身に着けよう。

 

実に素晴らしい御高説です。

 

と褒めるのはここまでにしておいて、上野千鶴子氏から胡散臭さを個人的に感じ取りましたので、そのへんを掘り下げて哀れな存在である彼女の信者についても語っていきます。

 

祝辞として適切かとか野暮だとか語りだすとキリがないのでそこは流していきます。

 

 

 

 

 統計の重要性を強調しておきながらそこで破綻する杜撰さ

 

冒頭に各大学の医学部の合格率の男女の違いを持ち出してこう述べます。

 

>統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

 

国公立大学と併願可能な私立大学の合格率のみで語るのはやや乱暴な印象でこの部分の話にはあまり中身を感じられませんが、祝辞のメインの話ではないからということにしておきましょう。

 

むしろ細々と数字を羅列する必要性がないのではと感じますが、「統計は大事」ということを彼女は強調しておきたかったのでしょう。

 

で、問題はここです。

 

>事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。

 

もはや日本のローカル語となっている偏差値という単語を使っているので話がわかりにくくなっていますが、ここでは学力の平均値または中央値が男子より女子のほうが高いとしておきます。

 

女子のほうが学力が高いことと東大生に男子が多いことは矛盾しないことをわかってないあたり、上野千鶴子氏の統計に対する理解の浅さが読み取れます。

 

各種データが具体的に指しているものはわかりませんが、男子の学力は女子と比べて平均値が小さく分散が大きいという傾向にあります。男はものすごく頭が良い者とものすごいバカが多いということですね。

 

dain.cocolog-nifty.com

 

こちらの「なぜ理系に進む女性は少ないのか」という本の書評記事に書かれてありますが、「サイエンス」誌に載った研究にて男子の学力の分散が大きいことが指摘されおります。

 

日本の今の大学受験生の年代では一学年が100万人弱で、東大は一学年3000人です。

 

もちろん京大や医学部に進学する者もいるので、100万人弱のうちトップばかりが東大を受験するわけではありませんが、東大生は学力的には上澄みと言っていいでしょう。

 

となると、分散が大きい男子の入学者が多いのは当然のことであって、合格者の男女比が1:1のほうが不正入試の可能性を疑ったほうが良いかもしれません。

 

あと、正規分布に男女差はないという話ですが、そもそも正規分布自体が平均値と分散値で決まるものであり、男女差はないということは一体どういうことでしょうか。

 

しかも、学力自体も測定するテストによって影響されることも上野千鶴子氏は理解しているのかどうか怪しいところで、問題の作り方でいくらでも学力の分布は変わりえます。

 

国際的な学力テストは多国間で比較がしやすいように正規分布になりやすいように問題を調整していると推察されます。

 

極端な話ですが、全員満点とか全員0点のテストは正規分布になりません。

 

当然ながら大学入試の学力試験は受験生が正規分布になるようデザインされたものではなく、自分が受けてみた印象論で申し訳ないのですが東大物理の点数が正規分布になるとは到底思えません。

 

数字を持ち出すだけなら簡単ですが解釈するのは難しく、統計のこの厄介な性質に医学研究においても苦労されている方も多いかと思われます。

 

上野千鶴子氏の発言内容はいかにも雑で、はっきり言ってしまうと「統計」という言葉を使いたかっただけではないかと。

 

貧困に対する無神経さ

 

統計のド素人ということを露呈してしまったわけですが専門外ですからまあそこは目を瞑っておきましょう。

 

上野千鶴子氏の専門について、ここでも彼女は決定的な間違いを犯しておりもはやアンチフェミニストと呼ぶに相応しい状態になっているんですね。

 

結論から言うと、女性の権利には何よりも貧困の撲滅が重要であるにも関わらず上野千鶴子氏は貧困を容認しているんですよね。

 

貧困と女性の権利については、「ファクトフルネス」に詳しく記載されております。

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 

著者は、アフリカでの臨床経験も持つ公衆衛生の専門家であり、世の中に溢れてるステレオタイプの誤りを多く指摘しており、貧困と女性の権利の関係についても言及しております。

 

女性に優しくない社会というと皆さんはどういったものを思い浮かべるでしょうか。

 

日本のフェミニストは日本社会だと即答しそうですが、例えばイスラム教圏を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。

 

しかし、それぞれの文化の違いというのは些末な問題であり、経済レベルこそが女性の権利を決定しているわけです。

 

例えば、現在のイランでは女性が顔をむき出しにして仕事をするのは当たり前となっており、女性はブルカを被って仕事を許可されない一夫多妻社会というステレオタイプ的発想は既に時代遅れなのです。

 

食事についても経済レベルが同じなら中国とナイジェリアでは調理法が同じと指摘しており、国による違いと捉えられているものの多くは実は経済レベルの違いだったというわけです。

 

女性の権利を高めるものには、初等教育の充実、避妊具の普及など複数の要素がありますが、いずれも経済レベルに強く結びついております。

 

アジアもアフリカも中東もどこもそうです。

 

世界で最も男女平等であるスウェーデンだってちょっと前には頑固オヤジがいたわけで、文化の違いは些末なことなんです。

 

もちろん同程度の経済レベルでも男女平等の程度の違いはあるかもしれませんが、それも文化の違いではなく、安定している国と急速に経済成長した国の違いを見ているに過ぎないのかもしれません。高齢者は一昔前の価値観で生きているので、むろん前者の国のほうが男女平等のレベルは高いでしょう。

 

以上のように、経済を無視して女性の権利を語ることはできないにも関わらず、上野千鶴子氏は貧困を容認しております。

 

togetter.com

 

日本の人口減少に対して少子化対策も移民政策も否定しており、さらには経済を衰退させることすら提唱しているわけです。

 

人口が少ないなりにやりくりしようとするデービッド・アトキンソンのような発想はそこにはなく、まさしく開き直りや思考停止と言っていいでしょう。

 

デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論

デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論

 

 

上野千鶴子氏の言うような緊縮財政、反経済成長の政策を取る限り間違いなく日本の経済レベルは低下することになるでしょう。

 

それに伴ってもちろん女性の権利レベルも低下します。

 

フェミニストとしては何としても避けなければならない事態を彼女は平然と受け入れておりフェミニストの風上にも置けません。

 

彼女がやっていることは自分が不満に思っていることをただ言語化して理屈をコネているだけであり、単なるイデオロギー止まりで社会科学とは到底言えません。

 

本来なら身内が彼女を「刺す」べきところですが、それが起こらないあたりが日本のフェミニズムのレベルの低さの表れなのではないでしょうか。

 

上野千鶴子氏に具体的な経済政策を提唱させろとまでは言いませんが、経済成長する方向に社会を持っていかなきゃならないと主張させることくらいは本当のフェミニストなら簡単なはずですが。

 

社会科学風ドラッグと化したフェミニズム

 

このように一つ一つ理論立てていくと、上野千鶴子氏は自分の不満を撒き散らしてるだけでいかに女性の権利を軽視しているかが自ずと明らかになります。

 

彼女の発言に対して共感している人たちは、自分が上手く言語化できなくてモヤモヤと抱えていたものをスッキリさせることができるから賛同しているに過ぎません。

 

理屈で考えると彼女の発言はトンデモです。

 

だから、「共感」であって「理解」ではないのです。

 

理論として破綻している上野千鶴子氏の言う通りにしても問題が解決することはないどころかむしろ逆効果なので、彼女の信者もポルノのように楽しんでいるだけです。

 

その場ではスッキリしてもすぐに鬱憤が溜まるため社会科学風のドラッグと言ってもよいでしょう。

 

彼女の信奉者たちはこれからも彷徨い続けるわけです。何年何十年経っても男に不満をぶつけながら。

 

このあたりはエセ医学にも通じるものがあるかと思われます。

 

最後に、「ファクトフルネス」の著者ハンス・ロスリングの言葉で締めくくります。

 

>「どんな証拠を見せられても、ワクチンに対する考え方は変わらない」と思うだろうか? もしそうだとしたら、それは批判的思考とは言えない。証拠を無視したら、批判的思考は成り立たないからだ。ワクチンを疑う際に役立った批判的思考が、いつの間にか役立たずになっていないだろうか?

 

フェミニストのみなさん、どんな証拠を見せられたら上野千鶴子氏に対する考え方が変わりますか?