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言語能力が分ける思考の4段階と共感がもたらす危険性

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世の中には「わかる」という言葉がありますが、わかるにも色々な段階があると考えられます。

 

上司が部下にわかったかと聞いて部下は元気よくハイと答えたものの全然わかってねーじゃねーかコイツとなるシチュエーションが示す通りです。

 

何かしら問題があったとしてそれに対して考える状況を想定すると、言語能力によって以下の4レベルに分けられるのではないかと。(実際の行動に移すとなるとまた別の話になるのでここでは触れません)

 

レベル1 何も感じていない

レベル2 問題があること自体はわかってて心の中がモヤモヤしている

レベル3 モヤモヤしたものを言語化できる

レベル4 事実に基づいて正しく言語化できる

 

具体的に4つのレベルについて説明し、さらにレベル2の段階の人にありがちな共感の危険性について話を進めていきます。

 

 

 

 

 

思考の4つのレベルの詳細

 

 

レベル1 何も感じていない

 

文字通りです。社会から見ればただのモブキャラです。

 

 

レベル2 問題があること自体はわかってて心の中がモヤモヤしている

 

世の中には不公平や欺瞞が満ち溢れているわけですが、それに対して何かを感じ取る感性を持っている人です。

 

しかし、その不快な感情を説明するだけの言語能力を持たず、フラストレーションを溜め込みがちです。

 

外国に言った時にまともに意思表示ができなくて困るのもそうですが、母国語があっても自分の思いを説明する語彙力が不足しておりその理由を順序立てて説明する論理構築ができない場合にも該当します。

 

アウトプットできないという意味では、外から見ればレベル1と区別はほとんど不可能で、なんかコイツ不機嫌だな~くらいしか周りにはわからないでしょう。

 

 

レベル3 モヤモヤしたものを言語化できる

 

自分がどういった思いを抱えているのか自分の言葉で説明することができ、他者に伝えることができる段階です。

 

ただ、話に根拠がなかったり文章の組み立てがまずかったりで、自分と同じ考えの人には簡単に伝わりますが、別の人を納得させることは困難です。

 

言葉遣いが少々雑でも慣れてる者同士ではコミュニケーションが成り立つことは、阿吽の呼吸という言葉が示しております。

 

 

レベル4 事実に基づいて正しく言語化できる

 

考えが異なる人を理解させるためには、きちんとした根拠を示すことが必要です。

 

具体例やデータを示したり、理屈を丁寧に説明しなければなりません。

 

なんとなくでコミュニケーションを取っている人には到達できないレベルです。

 

 

レベル1はそもそも何も考えていない状態ですが、レベル2からレベル4は言語能力によって別れます。

 

あまりに遠く離れすぎたところからモノを正しくスケッチすることができないように、これらのレベル間についても離れすぎると理解が困難となります。

 

レベル1の人たちにとってはレベル3やレベル4の人たちはただの鬱陶しい人です。こっちは大人しく暮らしているのに世間を騒がせていてウザいとなるわけです。

 

レベル2の人たちはレベル4の人たちとも上手くやれません。

 

もし自分と考えが同じの場合でもレベル4の人の説明はまどろっこしく聞こえるからです。

 

レベル2の段階の人は基本的に言語能力が低めなのでより少々間違っててもわかりやすい言葉を好み、そういった意味でレベル3の人とのほうが上手くやっていけます。

 

彼らがやっていることは理解というより共感と表現したほうが適切でしょう。そこに理性はないわけですから。

 

 

言葉を操れることの重要性

 

言語能力は自分の考えをきちんと固める意味でもそれを正しく他者に伝えるという意味でも重要です。

 

驚異的な言語能力を持っていた人物としては、日本海海戦で参謀を務めた秋山真之が挙げられるでしょう。

 

坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

 

 

俳人正岡子規と親しい読書家として知られており、日本海海戦の際の電報「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は名文として有名です。

 

連合艦隊解散の辞も名文とされており、感銘を受けたアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが英訳して海軍に配ったという逸話もあります。

 

「連合艦隊解散の辞」原文satoshi0211wata.wordpress.com

 

作文能力にただ長けていたわけではなく、彼の言語能力は仕事にも役立つことになりました。

 

日露戦争前に彼はアメリカに半分留学半分スパイの目的で行くこととなりますが、アメリカ海軍の名将に戦略戦術の勉強法を教わります。

 

その名将は、ただ頭に知識を入れるだけではダメで自分自身の言葉で原理原則を理解して表現できることの重要性を強調しました。そうしなければ応用が効かないと。

 

元々読書家ではありましたが、秋山真之アメリカ滞在中も本や論文を読み耽り自分自身の言葉にして自らの血肉に変えていきます。

 

そんな中彼の運命を決定付ける米西戦争が勃発します。

 

キューバ独立が争点となったこの戦争はアメリカの勝ちで終わりますが、彼はこの戦争を現地で観戦していました。

 

その時見たものを描き考察した詳細なレポートとしてまとめ、そのあまりの出来の良さは日本海軍の関係者を驚かせることとなりました。

 

それを見た東郷平八郎は、秋山真之を「智謀如湧」と評し、日露戦争での作戦立案を任せ、あの日本海海戦の大勝に繋がったわけです。

 

日本海軍はここをピークとして後は坂道を転げ落ちて行きましたが、これについて攻殻機動隊の監督である押井守氏が興味深いことを指摘しております。

 

明治時代の軍人は指示を論理的な文で表現していたけれども、昭和時代の軍人は指示があやふやだったり長々と書いてても結局は気合でなんとかしろという類の物が多いということです。

 

ここにも言葉の重要性が表れているのではないでしょうか。

 

共感がもたらす危険なムード

 

共感は理解と比較して高度な言語能力を要しませんが必ずしも下位互換というわけではありません。

 

理解は一歩一歩踏みしめるように進むため時間がかかりますが、共感は心に直接響きますので点火した時の勢いが圧倒的です。

 

twitterを見れば分かる通り、バズるツイートは理屈っぽいものではなく共感を呼ぶものです。

 

 共感の危険なところは異質なものを排除する排他性を孕んでいる点です。

 

2019年の現時点で最も成功している共感はトランプ大統領でしょう。

 

彼の言葉は、貧困に喘ぐ昔ながらのアメリカ人労働者に刺さりました。

 

アメリカが一番、アメリカ人労働者が一番というシンプルな主張であり、彼の使う単語に小難しいものはなく、ここらへんはオバマ前大統領の使う単語とは対照的です。

 

共感は事実や理屈に基づいていないため、自分とは同類の人間とはわかりあえても違うタイプの人間を納得させられないんですよね。

 

いくら言葉を発しても相手を納得させられないので、彼らはフラストレーションを溜め込み最終的には相手を自分の敵としか認識できなくなります。自分に配慮しろ、そもなければお前は敵だと。

 

敵扱いされた相手も当然いい気分はしないわけですから、共感は熱心なファンと同時にアンチをも生み出します。

 

エビデンス軽視し、共感と排他性を生む言葉を操る上野千鶴子氏もトランプ大統領と同じ穴の狢と言えるでしょう。ただ属性が違うだけであってやってることは大差ありません。

 

歴史を紐解くと、共感がもたらした惨劇としてホロコーストが挙げられるでしょう。

 

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

 

 

政権を握る前のヒトラーは演説にてワイマール共和国政治の批判とユダヤ人排斥のアピール(この時はまだ虐殺までは宣言しておらず追放を想定していた様子)を行い、多くのドイツ国民からの支持を得ました。

 

彼の発言には根拠があったわけではありませんが多くの人々からの共感を得ました。

 

その当時のドイツ人が時の政権に不満を抱きユダヤ人にマイナスイメージを持っていたのは事実ですが、彼らは決して悪人というわけではなくごくごく普通の庶民でした。

 

その後のナチスドイツの暴走は皆さんご存知でしょう。

 

そもそも民主主義に懐疑的だったヒンデンブルクの協力を得たヒトラーは首相となり、ヒンデンブルクの死後にはフューラーとなりました。

 

「公約通り」ユダヤ人排斥を進め、対イギリス、対ソ連の戦いで苦戦し始めたあたりからヒトラーエスカレートします。

 

ユダヤ人を旧フランスの植民地であるマダガスカルへ追放する計画は制海権をイギリスに握られたため頓挫し、東方へ追放する計画も対ソ連で手こずったため頓挫します。

 

行き場を無くしたユダヤ人は強制労働させられ虐殺されることになります。

 

ここまでは当初ヒトラーに投票した有権者は想定していなかったでしょう。

 

 しかし、ごくごく普通のドイツ人のありふれた共感と排他性がこの悲劇を生み出したのは事実です。

 

これから先の社会では価値観がどんどん多様化し、日本に住む外国人の数も増えることでしょう。

 

コミュニケーションという言葉はよく使われてはいますが、これまでは自分と同質の相手とのコミュニケーションばかり重視されて、異質な存在とのコミュニケーションは軽視されてきたように感じます。

 

自分とは考えやバックグラウンドが異なる人とも上手くやっていくためには共感ではなく理解を重んじることが必要なのではないでしょうか。