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【書評01】覇王の家(司馬遼太郎)

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「家康という男は、人のあるじというのは自然人格ではなく一個の機関であるとおもっていたのかもしれない」

 

織田信長豊臣秀吉徳川家康の三英傑の中で最も不人気な家康が主人公の作品。

 

著者である司馬遼太郎も彼に対しては好感を持っていなかったようで、他の作品と比べると明らかに主人公が生き生きと描かれておらず、不可解なものを分析するかのように淡々と描かれております。

 

爽快なドラマが乏しく覇王らしさが全く感じられない家康に対してこのタイトル名をつけたのも一種の皮肉ではないかと勘ぐってしまいます。

 

しかし、文章にレトリックが乏しいぶんかえって家康の人物像がストレートに伝わってきます。

 

ひらめきに関しては信長や秀吉どころか他の戦国大名にも劣っており、若い頃には失敗ばかり重ねた家康。

 

一発逆転を起こす能力がなく何度負け続けても地道な努力と計算を重ねて一歩一歩進んでいくことで、ついには天下をも手に入れた彼から学ぶべきことは多いのではないでしょうか。

 

ほとんどの人は信長や秀吉のような才能を持ち合わせてはいないでしょうから。

 

家康という人物を一言で言い表すと一つの目的のためだけに人生を生きる徹底した合理主義者といったところでしょうか。

 

見栄やプライドのために実利を取れない日本人は多数派でしょうが、彼の場合は徳川家のためならば感情を押し殺してどんなことだってやっていきました。

 

彼の人生のうちほとんどの期間は長いものに巻かれて過ごしており、その寄生先も今川家に始まり織田家、羽柴家と時代に合わせて変えていきます。

 

50代半ばになって天下取りの野心を見せるまでは徹底的に忠犬を演じ続けました。

 

腹の奥底に野心を抱えつつご主人さまに徹底的に悟られないよう演じきったわけです。

 

当時の寿命を考えると、彼が本性を表したのは今の時代だと年金を受け取り始めるくらいの年代に相当し、普通の人間であれば野心を隠しきれないか隠すことに疲れて野心を諦めるところでしょう。

 .

驚異的なしつこさ粘り強さで最後の最後に勝利を勝ち取ったわけです。

 

金の使い道にも家康らしさが表れており、普段はとにかくどケチでしたが武田攻め後に信長を接待する際には金銭を惜しみなく使ったようです。全ては信長に媚びるためです。

 

女性に対しても家康はどケチだったようで、淀殿に城一つあげた秀吉とは対照的です。秀吉ほどは無理でもいくらか女性にお金を渡す男性のほうが多数派ではないでしょうか。

 

嫁選びも徹底しており、これはどうやら10歳年上の鬼嫁のせいで一時は織田家との同盟も怪しくなって長男を処刑せざるを得なくなった苦い思い出が関係しているようです。

 

彼が側室を選んだ基準としては、従順なこと、聡明なこと、そして若いことでした。

 

身分には全くこだわっておらず、今川義元の養女である例の鬼嫁に散々痛い目に合わされて身分の良さなど無意味だとその身を持って実感してたのでしょう。

 

嫁選びも全ては実用性重視というところに彼らしさが表れております。

 

自分に対して余計な口出しをせず、秘書役をキッチリと勤め上げることができ、そして徳川家のために子孫を残せるのが良い嫁というわけです。

 

彼は晩年にも女性を抱いていましたが、秀吉のような女好きとは違いあくまで子孫を残さねばという義務感から仕事と思って頑張っていたようで、そのかいもあって彼は70歳をこえても子どもを残しております。

 

他に女性関係のエピソードとしては、若い側室は抱えるものの遊女には決して手を出さなかったというものがあり、梅毒が遊女に関係していることに気がついていたというのも興味深い点と言えるでしょう。

 

家康は医療に関して医師顔負けの知識を持っていたとされ、長寿が天下取りに重要だと感じていたようです。

 

現に関ヶ原の合戦前後には大名の死が相次いでおり、秀吉や前田利家が亡くなっていなければ江戸幕府は築けていなかったでしょうし、合戦直後には裏切り者として名高い小早川秀秋が亡くなっていますが家康も同時期に亡くなっていればまた日本中が混乱して戦国時代第二ラウンドが始まった可能性は十分にあります。

 

戦や政治についても徹底的に実利を追求し、先人(特に武田信玄)のマネを躊躇なく行いました。

 

マネというと恥と捉える人も多いでしょうが自分の感情を殺してあくまで利益を取るのが徳川家康という男です。

 

家康は若い頃には散々失敗を重ねていましたが、先人を真似ることで晩年にはとてつもない政治力を発揮するようになりました。

 

普通の人が囚われているプライドや変なオリジナリティは邪魔でしかないと理解していたのでしょう。

 

 司馬遼太郎が不気味に感じるほどお家のために実利を徹底して追求した徳川家康

 

お家のためならセックスも手段の一つに過ぎないと割り切る極端さ。

 

彼ほど徹底することはできなくても、誘惑が多くてあっちへフラフラこっちへフラフラしている現代人はもう少し計算して利益を拾っていったほうが良いのではないでしょうか。

 

そして、誘惑以上に厄介なのが見栄やプライドです。

 

自分の感情をコントロールできないがためにせっかくのチャンスを活かせない人は残念ながら多数派でしょう。

 

周りからバカにされてもいいんです。負けるが勝ちです。

 

重要なのは徹底して打算的に行動して最後の最後に勝つことです。

 

もう一点、そもそも現代人は価値観が固まっていないという問題があります。

 

家康は徳川家繁栄のために全ての人生を費やすという方針がかたまっていましたが、今は人生が多様化して自分自身の人生で何が重要なのかわかっていない人も少なくないでしょう。

 

金、時間、家族。考えるべきことはとても多くすぐに答えを出せるものではありません。

 

家康だって大義名分がなければどケチ生活をして業務としてのセックスをすることは不可能だったでしょう。

 

最初に自分の価値観をハッキリさせて、後は見栄やプライドを捨てて徹底的に実利を追求していけばいいんですよ。

 

見栄やプライドでは飯を食えないわけですから。

 

プライドは大事?

 

そう考えるのは個人の自由ですが、それを重視している貴方は仕事やプライベートに満足していますか。

 

そこを抜け出したかったらプライドなんてクソ食らえと思うことです。