非モテゆえに破滅した皇帝
どうすれば自分はモテるようになるのだろうか。
何もしなくてももともとモテモテの一部の男性を除いて多くの男性はこの悩みを一度は持ったことがあるのではないでしょうか。
いい大学に入ればモテる。金を稼げばモテる。
自分自身でそういう結論に至った人もいるでしょうし、子どもをいい大学に入れて安定した職業につけたがる親のポジショントークを真に受けてそう考えるようになった人もいるでしょう。
いずれにせよ、金や権力を手に入れればモテるとは限りません。
10代20代の男性は肝に銘じておきたいところです。
ここで歴史を紐解いて、絶大なる金と権力を持っているにも関わらず恋愛面では全然うまく行かなくて最終的には破滅した哀れな非モテ男性を紹介していきます。
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【書評03】等伯(安部龍太郎)
「ええか信春、俺ら政にたずさわる者は、信念のために噓をつく。時には人をだまし、 陥れ、裏切ることもある。だが、それでええと思とる訳やない。そやさかい常しえの真・善・美を乞い求め、心の底から打ち震わしてくれるのを待っとんのや」
時は戦国時代。
新興勢力が次々と旧体制を倒す下剋上の時代に、絵画界の権威である狩野派を打ち破らんとする1人の絵師がいました。
名は長谷川信春(等伯)。
北陸の片田舎から都に殴り込み、壮麗な狩野永徳の絵画とは対照的に、野性味あふれる大胆な表現で人々の目を引き長谷川派をぶち上げた1人の男の物語です。
武家出身の彼は仏教絵画を専門に行う長谷川家に養子に出されたわけですが、彼の生き様は不器用な武士そのものです。
常に真実を自らの目で直接見なければ納得できない、描かずにはいられない。
そんな渇望に突き動かされて前進を続けるため、しばしばトラブルに巻き込まれ身内の不幸を招くことにもなります。
それでも彼は歩みを止めず不遇の最中でも絵を描き続け、降りかかる災難をも糧にして人々の心を掴んでいきます。
幼き頃より神童扱いされ世渡りにも長けた天才狩野永徳とは全く異なる人生です。
そんなバカ正直な等伯ですが、不器用で妥協できないからこそ、普通の人だったら諦めて到達できない高みに上り詰めることができたのでしょう。
次第に彼の元には多くの人々から仕事が舞い込み、それまでの10年以上に渡る不遇な時期の鬱憤を晴らすかのように描いて描いて描きまくろうとしますが、時代がそれを許してはくれませんでした。
自らの地位を脅かすのではと警戒した狩野派とそのバックについている石田三成との権力闘争に否応なく巻き込まれてしまいます。
このあたりは現代日本人にもありがちなことであり、例えばとある優秀な医師が臨床や研究に没頭しようとしても大学病院医局の権力闘争に巻き込まれることは珍しくありません。
長谷川等伯と狩野永徳も激しくしのぎを削り、特に箔が付くとされる朝廷から依頼された大仕事については巨額の実弾が飛び交い、さながら「白い巨塔」の第一外科教授選の様相を呈しております。
ただ大きい仕事がやりたいという欲望から等伯はいつの間にか雑念や執着にとらわれてしまったわけです。
現代においても、ワクワクする仕事がしたいとか実績を残したいという心から相手を陥れようとする権力闘争に発展するケースはしばしばありますが、等伯もそんなエゴにとらわれてしまいます。
これまで養父母の死や妻の死など数多くの不幸に遭い、その度に苦悶するわけですがそれらを乗り越えて等伯は絵師として成長してきました。
そして、エゴにとらわれた等伯は、痛い目に遭うだけでなく日蓮宗の僧や茶の師匠である千利休から諭され、自分自身のちっぽけなエゴをも克服しようとします。
波乱万丈の人生を送ってきた等伯ですが、最良の後継者である長男をわずか26歳で失うことでこれまでにない失意のどん底に放り込まれます。
長男を失った怒りから後先顧みない軽率な行動を取った等伯は自らの首をかけて絵を描くよう命じられます。
後継者を失い腑抜けた生活をしばらく続けていた彼ですが、これまで降り掛かってきた艱難辛苦を全て昇華して渾身の一枚を描き上げます。
松林図屏風。
時の権力者豊臣秀吉や他の大名に対してさえエゴを自覚させた最高傑作。
物語の締めくくりの場面においても彼らしさが表れております。
もっともっと絵が上手くなりたい。
都を去る時にさえその光景をデッサンして自らの心に残そうとしていきました。
時は400年以上流れましたが、彼の松林図屏風はある現代人の心を動かすこととなりました。
それは他ならぬこの作品の著者である安部龍太郎。
2011年の東日本大震災で彼は自分にはどうしようもできないという無力感に押し潰されそうになりますが、等伯の画集を開き松林図屏風に至るまでの等伯の苦悩に思いを巡らせることで再び立ち上がることができたとのことです。
血生臭い権力闘争に巻き込まれ右往左往しながらも、もっと良い絵が描きたいという純粋な心だけは捨てなかった等伯。
欲望にとらわれた者から見るとまばゆいばかりです。
男性医師が資産形成と家庭を無理なく両立させる2つの方法
人間という生き物は強欲なもので、ついつい全てを手に入れたいと思うものですが、現実的にはリソースは有限なので不可能です。
となると、優先順位をつけていくということになります。
金を重視するのか、キャリアを重視するのか、家庭を重視するのか。
取捨選択をする必要がないほど生まれた家が裕福なら問題ないでしょうが、多くの人がそうではないでしょう。
キャリアはひとまず置いとくとして、資産形成と家庭を両立させることは今の男性医師にとってさほど難しいことではありません。
ただ、立ち回りにはちょっとしたコツがあって、攻略法を間違えてしまうと簡単に積んでしまいます。
結論から言うと、金遣いが荒くなくて共働きをしてくれる女性と結婚するか、結婚時期そのものを遅らせるか、の2択となります。
以下その詳細について語っていきます。
- 金遣いが荒くなくて共働きをしてくれる女性との結婚
- 晩婚という手段
- まとめ
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【書評02】勝負論 ウメハラの流儀(梅原大吾)
「僕は勝ちを求めすぎると良くないと思う。勝ちにこだわりすぎるあまり、結果としてかえって勝てなくなってしまう」
勝ちを求めると勝てない、という禅問答のような命題。
この背景には勝つことと勝ち続けることの違いがあります。
10代のころからゲームの世界の最前線で戦ってきて一度はゲームから距離を置くものの再びプロゲーマーとしてゲームの世界へ舞い戻ってきた著者ならではの勝ちに対する哲学が表れております。
重要なのは目先の勝ちを求めるのではなく淡々と成長し続けること。
ゲームの世界では安易な必勝法がある場合もありますがそこに飛びつけば成長の機会を失って長期的に見れば勝利から遠ざかることとなってしまいます。
学校の定期テストと入試でも同じようなことが言え、対策して学校の定期テストで点は取れても本当に実力がついているわけではないため入試本番で苦労するというわけです。
勝った後にも罠が待ち受けます。
勝てば勝つほど自分の名声は高まるわけで、評判を裏切った時の落差が大きくなります。
いつか返済しなければならない評判を利息付きで溜め込むという表現からは彼自身の経験から滲み出た思いが凝縮されております。
負けが立て込むとすぐに外野から「ウメハラは終わった」などと言われてしまい、ついつい目先の小さな勝ちに逃げてしまいがちです。
勉強が得意な子という評判が立ってしまうと、もし何かわからないことがあった時に周りに聞くのが怖くなって知ったかぶりをしてしまいます。
それではダメだというわけです。
そのために、他人ではなく内的な評価を重視しろと著者は説きます。
自分の中でブレない軸があれば、周りから褒められて有頂天になったり逆にけなされて落ち込んだりすることはなく、淡々と努力を続けることができます。
運にも惑わされてはなりません。
勝負事には運の要素もあり、特に実力が伯仲した者同士だと顕著です。
その結果に一喜一憂することなく、運は仕方ないと受け入れる賢明さも大切なことです。
外が晴れていようが嵐だろうが、自分の内面をかき乱さずにやるべきことをやるにはその行為そのものが好きじゃなければなりません。
ゲームをすることが好きじゃなければブレずに努力し続けることはできません。
要領の良い人がいたとしても、最後は不器用だけれども好きでやっている人には敵わないと著者は説きます。
要領の良さでそれなりのレベル止まりというわけです。
努力の具体的な方法論についても本書で語られているものは実に泥臭いものです。
とにかく基礎を重視し、徹底して分解反復を繰り返すこと。
それなりのレベルで良いのなら手先のごまかしでなんとかなっても、突き詰めてしまうとひたすら地道な努力を重ねることがベストという結論です。
著者は納得するまで試行錯誤を重ね、時には無駄な手間はかかったとしてもセオリーに逆らうことも厭わないタイプで、新作ゲームにおいては要領の良いプレイヤーに最初のうちは全然勝てないそうです。
ただ、最後には逆転してトッププレイヤーとなるのがウメハラです。
言うは易く行うは難し、です。
周りの雑音にかき乱されないほど好きなことにコミットしないとトップにはなれないということでしょう。
さて、ここからは本から少し離れて余談です。
仮に泥臭い努力が苦にならないほど好きなことが見つかったとします。
しかし、著者の語る地道な努力を許してくれる領域と許してくれない領域があります。
前者の場合はゲームや音楽、文筆業などが挙げられるでしょう。
他人からいくらバカにされようとこれらの領域はどんどん試行錯誤できます。
ゲームは練習や対戦を重ねればいいわけですし、音楽はYoutubeに上げればいいわけですし、文筆業の場合はどんどんブログ更新すればいいわけです。
許してくれない領域の典型は外科医です。
手術には決まったノウハウがあり生きている人間が相手となる以上、時には定石を破るウメハラ流の試行錯誤は許されません。
決まった方法を忠実に器用にこなすことが重視されます。
手順取りにこなして上級医からコイツは筋が良いぞとなれば次々と症例のチャンスがありますが、一度不器用とレッテルを貼られてしまうとチャンスが来なくなり、両者の差はどんどん開いていき取り返しがつかなくなります。
他の病院に移ってもその運命からは逃れられず、○年目ならこれくらいはできるだろうというハードルをこえなければチャンスはやってきません。
コモディティ化した手術の機会はやってくるでしょうが、最先端のものをやりたがる外科医は掃いて捨てるほどいるためあなたにその機会はやってきません。
スタートダッシュでこけたらそこからの挽回はほぼ不可能です。
ウメハラ流ではスタートダッシュでこけることは成功するよりも多くのことを学べるのでむしろ推奨されているのとは対照的です。
結論を言うと、自分が成功したいと思っている領域が既にわかっているとして、要領の良さと泥臭い試行錯誤のどちらが重要なのかを見極めなければなりません。
既にスタートダッシュに失敗したり、これからスタートを迎える場合でも要領の良さに自信がない人は勝負する領域を間違えると悲惨なことになります。悲しい事実ですがいくら努力してもそこそこレベルで止まるのは明らかです。
スタートダッシュが重要な領域はいっそのこと諦めて、試行錯誤が重要な領域にシフトするのも手かもしれません。
本当に好きなことにコミットし続ければ、いつしか要領の良い人をこえられるわけですから。
【書評01】覇王の家(司馬遼太郎)
「家康という男は、人のあるじというのは自然人格ではなく一個の機関であるとおもっていたのかもしれない」
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑の中で最も不人気な家康が主人公の作品。
著者である司馬遼太郎も彼に対しては好感を持っていなかったようで、他の作品と比べると明らかに主人公が生き生きと描かれておらず、不可解なものを分析するかのように淡々と描かれております。
爽快なドラマが乏しく覇王らしさが全く感じられない家康に対してこのタイトル名をつけたのも一種の皮肉ではないかと勘ぐってしまいます。
しかし、文章にレトリックが乏しいぶんかえって家康の人物像がストレートに伝わってきます。
ひらめきに関しては信長や秀吉どころか他の戦国大名にも劣っており、若い頃には失敗ばかり重ねた家康。
一発逆転を起こす能力がなく何度負け続けても地道な努力と計算を重ねて一歩一歩進んでいくことで、ついには天下をも手に入れた彼から学ぶべきことは多いのではないでしょうか。
ほとんどの人は信長や秀吉のような才能を持ち合わせてはいないでしょうから。
家康という人物を一言で言い表すと一つの目的のためだけに人生を生きる徹底した合理主義者といったところでしょうか。
見栄やプライドのために実利を取れない日本人は多数派でしょうが、彼の場合は徳川家のためならば感情を押し殺してどんなことだってやっていきました。
彼の人生のうちほとんどの期間は長いものに巻かれて過ごしており、その寄生先も今川家に始まり織田家、羽柴家と時代に合わせて変えていきます。
50代半ばになって天下取りの野心を見せるまでは徹底的に忠犬を演じ続けました。
腹の奥底に野心を抱えつつご主人さまに徹底的に悟られないよう演じきったわけです。
当時の寿命を考えると、彼が本性を表したのは今の時代だと年金を受け取り始めるくらいの年代に相当し、普通の人間であれば野心を隠しきれないか隠すことに疲れて野心を諦めるところでしょう。
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驚異的なしつこさ粘り強さで最後の最後に勝利を勝ち取ったわけです。
金の使い道にも家康らしさが表れており、普段はとにかくどケチでしたが武田攻め後に信長を接待する際には金銭を惜しみなく使ったようです。全ては信長に媚びるためです。
女性に対しても家康はどケチだったようで、淀殿に城一つあげた秀吉とは対照的です。秀吉ほどは無理でもいくらか女性にお金を渡す男性のほうが多数派ではないでしょうか。
嫁選びも徹底しており、これはどうやら10歳年上の鬼嫁のせいで一時は織田家との同盟も怪しくなって長男を処刑せざるを得なくなった苦い思い出が関係しているようです。
彼が側室を選んだ基準としては、従順なこと、聡明なこと、そして若いことでした。
身分には全くこだわっておらず、今川義元の養女である例の鬼嫁に散々痛い目に合わされて身分の良さなど無意味だとその身を持って実感してたのでしょう。
嫁選びも全ては実用性重視というところに彼らしさが表れております。
自分に対して余計な口出しをせず、秘書役をキッチリと勤め上げることができ、そして徳川家のために子孫を残せるのが良い嫁というわけです。
彼は晩年にも女性を抱いていましたが、秀吉のような女好きとは違いあくまで子孫を残さねばという義務感から仕事と思って頑張っていたようで、そのかいもあって彼は70歳をこえても子どもを残しております。
他に女性関係のエピソードとしては、若い側室は抱えるものの遊女には決して手を出さなかったというものがあり、梅毒が遊女に関係していることに気がついていたというのも興味深い点と言えるでしょう。
家康は医療に関して医師顔負けの知識を持っていたとされ、長寿が天下取りに重要だと感じていたようです。
現に関ヶ原の合戦前後には大名の死が相次いでおり、秀吉や前田利家が亡くなっていなければ江戸幕府は築けていなかったでしょうし、合戦直後には裏切り者として名高い小早川秀秋が亡くなっていますが家康も同時期に亡くなっていればまた日本中が混乱して戦国時代第二ラウンドが始まった可能性は十分にあります。
戦や政治についても徹底的に実利を追求し、先人(特に武田信玄)のマネを躊躇なく行いました。
マネというと恥と捉える人も多いでしょうが自分の感情を殺してあくまで利益を取るのが徳川家康という男です。
家康は若い頃には散々失敗を重ねていましたが、先人を真似ることで晩年にはとてつもない政治力を発揮するようになりました。
普通の人が囚われているプライドや変なオリジナリティは邪魔でしかないと理解していたのでしょう。
司馬遼太郎が不気味に感じるほどお家のために実利を徹底して追求した徳川家康。
お家のためならセックスも手段の一つに過ぎないと割り切る極端さ。
彼ほど徹底することはできなくても、誘惑が多くてあっちへフラフラこっちへフラフラしている現代人はもう少し計算して利益を拾っていったほうが良いのではないでしょうか。
そして、誘惑以上に厄介なのが見栄やプライドです。
自分の感情をコントロールできないがためにせっかくのチャンスを活かせない人は残念ながら多数派でしょう。
周りからバカにされてもいいんです。負けるが勝ちです。
重要なのは徹底して打算的に行動して最後の最後に勝つことです。
もう一点、そもそも現代人は価値観が固まっていないという問題があります。
家康は徳川家繁栄のために全ての人生を費やすという方針がかたまっていましたが、今は人生が多様化して自分自身の人生で何が重要なのかわかっていない人も少なくないでしょう。
金、時間、家族。考えるべきことはとても多くすぐに答えを出せるものではありません。
家康だって大義名分がなければどケチ生活をして業務としてのセックスをすることは不可能だったでしょう。
最初に自分の価値観をハッキリさせて、後は見栄やプライドを捨てて徹底的に実利を追求していけばいいんですよ。
見栄やプライドでは飯を食えないわけですから。
プライドは大事?
そう考えるのは個人の自由ですが、それを重視している貴方は仕事やプライベートに満足していますか。
そこを抜け出したかったらプライドなんてクソ食らえと思うことです。
医師は専門性の高いエキスパートではない
AIを始めとしたテクノロジーの進歩により失業する人が出るのではないかと危機感を持っている人は医療業界にもおられます。
これまで人間が行っていた診断や治療が置き換わって食いっぱぐれてしまうかもしれない、ということです。
しかし、医師の仕事の内容を一つ一つ見ていけば本当に高い専門性が求められる仕事というのはそう多くありません。
「神の手」と称される一部の外科医などは高い専門性が必要なことばかりしているかもしれませんが、ほとんどの人にとっては無縁な話です。
まずは現状を把握することで今後のキャリアプランニングの参考にもなるのではないでしょうか。
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