お勉強だけが取り柄の秀才くんが現代でも活躍する方法
勉強が得意というだけで人生バラ色の時代は終わってしまいました。
せっかく東大に入ったのに、医学部に入ったのに、恩恵が少ないじゃないかと入った後になってから感じる高学歴の人もいるのではないでしょうか。
昔なら得られていたはずの恩恵が得られずせっかく勉強したのに意味がないとガッカリしても仕方ありません。
考えようによっては、勉強ができるということは現代で活躍するのにとても優秀な武器になりえます。
結論から言うと、
損切りを厭わないこと
メタ能力として捉えること
この当たりに気をつければOKです。
ガリ勉だけで食っていけた過去
戦後から平成の初期まではいわゆるレールを外れない人生が勝ち組でした。
学生時代は勉強に打ち込み、男なら仕事をし、女なら家庭に入り、マイホームを建て、子どもを育て、老後は年金を貰い悠々自適の老後を送る、といったところでしょうか。
勉強するべき時に勉強してあとはレールを外れないようにしていれば問題なかった平和な時代です。
昔はみんな金太郎飴のような人生を送ってきたわけですが、バブル崩壊で流れが変わりました。
終身雇用の崩壊でサラリーマンとその配偶者である専業主婦は大打撃を受けました。
彼らが子どもの頃には、勉強しなさい勉強すればうまくいく、と大人から言われていたはずなのに、話がちがうじゃないかと。
専門職についても、弁護士や歯科医師など昔なら資格があっただけで食い扶持には困らなかったはずの仕事の雲行きがだんだん怪しくなってきております。
医師に関しても、平成の時代は持ちこたえましたが、今後どうなるかわかりません。
勉強さえできたら万事うまく時代はとっくに終わってしまったのです。
勉強ができることより勉強が昔できたという事実が重要視されたのが昔の社会ですね。
必要な勉強量の増加
勉強しても意味がないのだから、好きにやればいいやと思うかも知れませんが、それは早計です。
仕事をする上で勉強しないといけないことは実は増えています。
例えば、医療の世界では治療法がどんどん進歩しているため勉強すべき知識がどんどん増えていっています。
90%以上が合格するということで医師や医学生でない人からは簡単呼ばわりされる医師国家試験ですが、要求される知識量は毎年毎年増えているんですね。
医学部入学してから卒業するまでに使用するテキストを集めるとかなりの量になるかと。
これからの医学生は勉強しないといけないことがさらに増えるでしょう。
他の仕事でもそうです。
昔はワープロを打てるだけで飯を食っていけましたが、今は違います。
単なる文字入力より高度なexcelについてもそうで、excelができる事務職というのは当たり前になってしまいました。
勉強し続けることが不可欠
要するに古い知識が陳腐化してしまって、新しいものがどんどん増えていっているわけですね。
勉強したという事実は現代ではあまり役に立ちません。
古い知識は時間とともに役に立たなくなっていきますし、学生時代に勉強していい会社に入るという黄金ルートがなくなってしまいました。
新しいものを取り入れ続けることがこれからのルートになったわけです。
余談ですが、高齢者が若者から尊敬されない理由の1つがここらへんでしょう。
昔は仕事の内容がどんどん変革することはなかったため長老の知恵がとても重要でした。
手で田植えをして収穫して生活する人がほとんどで、仕事の内容も時代によって変わることもほとんどありませんでした。
ところが、現代では社会の変化が早いため長老の知恵はとっくに陳腐化してしまって若者にとってはありがた迷惑以外の何物でもありません。
話に耳を傾けようとしない若者たちを見て、高齢者たちは失礼だと憤るのは自然なことです。
彼らは大真面目に役立つアドバイスをしているつもりですが、とっくに時代遅れになっていることに彼らは気づいていないのです。
何を勉強したら良いのかわからない
勉強しないといけないのはそうですが、じゃあ一体なにを勉強すれば良いのか。
正解は誰にもわかりません。
今何かを勉強しても10年後には役に立たなくなっている可能性があるわけですから。
予測するのも無理でしょう。
発想を逆にして、10年前に社会は今のようになっていたと予測できたでしょうか。
将来必要な知識なんて今わかるわけがないのです。
損切りできれば上手くいく
大切なのは昔勉強して蓄えた知識ではなく、アップデートし続けられるかです。
昔のものは陳腐化していまうので、過去の遺物は思い切って投げ捨てる勇気を持ちましょう。
仮に損を抱えていても良くなる見込みがなければ切り捨てる、損切りをするわけです。
言葉でいうと簡単ですが、特に高学歴であるほど損切りが難しくなります。
というのも、大学入試の勝ち組である彼らにはかつて学んだことを捨てるという考えがそもそもありませんから。
大学入試の勝ち組である高学歴の人たちは、小中高と積み重ねていけば上手くいくという成功体験を持ってしまったものですから、どうしても陳腐化したものを捨てることに抵抗感があります。
一方で、学校の勉強で勝ち組になれなかったひとは、そこそこで妥協することや諦めて他の道に進むことを自己の体験から学びます。
秀才よりも一見すると行動力があるだけのバカが、変化の激しい現代で成功しているように見えるのはその点も関わっているのではないでしょうか。
ダメだったら次、またダメだったらその次とどんどん進んでいくのが現代では必要なことです。
かつて勉強したことを後生大事に抱えることに意味はあまりありません。
不必要になったものはどんどん捨てていくイメージで動きましょう。
せっかく勉強したのに、とかそういう後悔は無意味です。
とっとと損切りして新しいことに手をつけていきましょう。
メタ能力としての学習力
学んだ個々の知識が役に立たないこともあるでしょうが、どの分野を勉強する時にも学習する能力そのものは色あせません。
どうしても積み重ねたものに意識が向いてしまいがちですが、お勉強が得意な秀才の武器は学習をする能力というメタ能力なのです。
知識が人生で直接役には立たなくても、エビングハウスの忘却曲線と戦いながら英単語を暗記したことや自己を律して努力することは他のことを勉強する場合に役立ちます。
要らなくなったことはどんどん忘れて、どんどん新しいことを勉強していきましょう。
勉強したことが役に立たなくなったと落ち込むのではなく、新しいことを勉強するのに役立つと考えることができれば少しは前向きになれるのではないでしょうか。
義務教育での最低限の勉強は必須
古いものは陳腐化することを強調してきましたが、昔のことであれば何でもかんでも捨てればいいってもんじゃありません。
何か新しいことを勉強するためには最低限の知識が必要です。
ものを書いたり読んだり、計算を行うことが土台になっているからです。
極論を言うと、漢字や九九を知らない幼稚園児が高度なことを勉強できるわけがありません。
高学歴の人たちは、このあたりの基礎学力がしっかりしているでしょうからさほど意識する必要はないでしょうが、持っていない人はここの基礎学力を身に着けなければなりません。
大学受験のための勉強においても、基礎学力(特に国語力)が重要であることはこちらの記事に書いています。
qoltimeandmoney.hatenablog.com
学生時代に遊んでばかりだった人は、プライドを捨てて小学校中学校の勉強からやり直す必要も出てくるかも知れません。
面倒でしょうが、基礎学力が身につきますし、勉強の方法を勉強することもできるため、やっておいて損はしないでしょう。
最後に
まとめますと、勉強そのものの必要性は失われたどころか昔より高くなっているくらいです。
基礎学力が身についており勉強法についても知っている高学歴は、実は現代こそ活躍できるのです。
注意点としては、過去の遺物にこだわらず不要になったものは潔く捨てることです。
せっかく勉強したのにムダになると考えてしまうと何を勉強すれば考え込んでしまって地蔵になってしまう可能性があります。
将来なんてどうせ予測することできないのだから、興味の赴くままに勉強して、必要のあるものが見つかったらサッサと乗り換えてしまえばいいのです。
学力を受験で高得点を取る能力と定義するからおかしなことになるわけで、学力を捉え直したら道は開けるでしょう。