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LGBTの未来は明るい。生産性向上こそが問題を解決する。

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LGBTは生産性がないという発言で、自民党杉田水脈議員が叩かれております。

 

彼女の否定派からすれば「生産性」という言葉は穢らわしいものに聞こえるでしょう。

 

しかし、生産性向上こそがLGBT問題を解決します。

 

杉田水脈議員の考えを否定する人にこそ読んでもらいたいと私は考えており、どうか生産性という言葉尻だけを捉えないようにお願いします。

 

最初に断っておきますが、彼女を擁護するつもりは全くありません。

 

彼女の使っている「生産性」という言葉とこれから私が述べていく「生産性」という言葉は全く意味合いが異なります。

 

詳細は後述しますが、例えば、目的地に早く辿り着く必要があったときに、彼女の言う生産性向上は速く走ることを指しており、私の言う生産性向上はそもそも走るのをやめて自転車を使おうよ、ということです。

 

LGBT問題については、数年以内とかいう短期的なスパンではどうかわかりませんが、長期的には楽観的に私は捉えております。

 

 

 

 

 

 

迫害されていたのはLGBTだけではなかった

 

LGBTに限らず、差別として思い当たるものを挙げていくとどうなるでしょうか。

 

人種差別、男女差別などを挙げる人が多いのではないでしょうか。

 

これらは、いずれも今まさに問題となっている点が共通です。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉があるように、悲しいことに人は忘れる生き物です。

 

過去の歴史を振り返って見ると、迫害されていた人たちは昔から多くいたわけです。

 

例として、キリスト教徒と近視の人で説明していきます。

 

いずれも今は差別されておらず現代人には意識されていないことが共通で、前者は精神面で差別されていた人たち、後者は身体面で差別されていた人たちです。

 

 

迫害されていたキリスト教

 

今でこそ、世界で最も受け入れられていると言っても良いキリスト教ですが、昔は迫害の歴史でした。

 

エスの最期はユダヤ人に吊るし上げられたことは有名ですが、彼が亡くなった後もキリスト教徒に対する迫害は続きました。

 

当時のヨーロッパはローマ帝国が猛威を振るっており、神を最上のものとして崇めるキリスト教の考えは皇帝崇拝を要求するローマ帝国の考えと真っ向から対立したためです。

 

迫害を逃れるため、キリスト教徒たちが地下墓地に潜ってひっそりと信仰を続けました時代もありました。

 

迫害されつつもキリスト教は国家を脅かす邪教ではないと徐々に認められ、ついにはローマ帝国の国教として指定されたのは周知の事実です。

 

キリスト教は当時としては画期的な宗教であったため迫害を受けましたが、最終的には優れた宗教として受け入れられたわけです。

 

その影には、歴史にはほとんど残っていないでしょうが多くの人の努力があったはず。

 

エスの教えをそのまま伝えるだけでなくわかりやすく噛み砕いたり、時代に沿う形にアップデートを行った人たちがいたからこそ今のキリスト教があるのではないでしょうか。

 

 

迫害されていた近視の人たち

 

人類は最初のうちは狩猟採集生活を送っていたはずですが、そういう時代では遠くがよく見えるということが非常に重要です。

 

近視の人が役立たずなのは明白で、食糧を安定的に確保できる見込みがない時代ですから、そういった人たちは集落によっては追い出されてそのまま餓死するリスクがあったわけです。

 

その後、農耕生活に人類は移ったため手元で行う作業が増え、軽度の近視の人たちは以前ほどは困らなくなったでしょうが、強度の近視の人たちは困っていたと推測されます。

 

文字通り、穀潰しとして扱われ悲惨な末路を辿った人は多かったことでしょう。

 

そんな近視の人たちを救ったのはメガネであり、さらにテクノロジーが進歩してコンタクトレンズやレーシックも登場して選択肢が増えました。

 

近視があってもメガネがあれば遠くが見えるようになり仕事や生活の幅が大きく広がることとなりました。

 

さらには、もともと視力を改善するための物であったメガネもオシャレなものが増えていき、中には伊達メガネをする人までいます。

 

ただの道具であったのが、ファッションにまで進歩したわけです。

 

近視が迫害されていたなんて考える人は今はどこにもいません。

 

今は何不自由なく生活している近視の人も、生まれる時代が時代ならメクラ扱いされて廃嫡されたり村八分に遭って飢えに苦しんでいた可能性もあります。

 

 

娯楽で飯が食えるようになった

 

これまでマイナスであったものが思想やテクノロジーの進歩といった意味での生産性向上によりマイナスではなくなったという話をしてきました。

 

さらに続けて、生産性向上により大幅に恩恵を受けた人たちがいることについても話を進めていきます。

 

生産性向上により劇的に変化したことは、全員が食糧確保のために働く必要性がなくなったことです。

 

かつては畑を耕すなり山に入って食糧を探すなりを村の中の全員がする必要がありました。

 

全員が働いても十分な量を得られずに餓死する人も珍しくありませんでした。

 

生産性向上により安定的に食糧を確保できるようになり、娯楽というただ生活するのには全く役に立たないことで生計を立てる者が出現しました。

 

大昔であっても権力者に援助してもらうことで娯楽で飯を食うひとはいましたが、一般人を相手にした商売で食っていけるようになったわけです。

 

今も続いている娯楽である歌舞伎を例にすると、江戸時代初期から娯楽として定着し、売れっ子歌舞伎役者は当時の農民より遥かに金銭面で豊かでした。

 

生活には必要のないことをやっている者が生活必需品を作っている者をこえるという大昔では考えられなかった現象が起こりました。

 

それは、食糧に関して生産性向上して1人が生産できる量が十分に増えたおかげです。

 

歌舞伎に限らず手工業品で生計を立てる者もいました。

 

仕事が、ただ生活に必要なものを提供することから生活をより良くするものを提供することへ徐々にシフトしていったわけです。

 

ただし、江戸時代は農業に従事していた人が多数だったということは忘れてはいけません。

 

当時と今を比べると、品種改良やトラクターなどの機械の進歩により遥かに農民、というか現在の言葉だと農家の割合が激減しました。

 

21世紀の日本において、食糧を作るまたは獲得する職業に従事している人は少数派になり、一次産業に従事する人はわずか数%に減りました。

 

食糧には困らないという状況により仕事が多様になっています。

 

そのおかげで、農家や漁師の適性がない人たちでも自分にマッチした人生を歩むチャンスが生まれました。

 

 

生まれた時代が良かった大谷翔平選手

 

例としてメジャーリーガーを挙げていきます。

 

大谷翔平選手がスーパースターでいられるのは、生まれた時代が良かったからです。

 

野球というスポーツがあること、さらには野球を観戦する人がたくさんいて野球選手で飯を食っていける現代ならではです。

 

農民になるしかなかった大昔にもし彼が生まれていたらどうだったでしょうか。

 

力持ちなのは仕事がはかどっていいことかも知れませんが、それで農作物の収穫量が変わるわけではなく、体が大きい分生きていくのに必要な食糧が多く餓死の危険性が普通の人より高かったかも知れません。

 

戦国時代に生まれていたら、一騎当千の武士として名を轟かせたかもしれませんが、野球選手としての大谷翔平ほどのいい思いはできなかったはずです。

 

流れ弾に当たって死ぬ危険性があることを考えると、野球やっているほうが遥かに良いでしょう。

 

このように時代によって待遇は変化するもので、彼の才能を活かすには「今」が一番良いでしょう。

 

まさに時代の寵児と言えます。

 

 

過去に生まれたほうが恵まれていた人たち

 

 残念ながら昔のほうが恩恵を得られていた人はいて、昭和時代の寡黙な職人さんはまさにその代表です。

 

狩猟採集生活をしていた頃は職人という職業すらなくて論外ですが、昭和であれば黙々と作業していれば認められたのが、手先の器用さだけでは食い扶持にならなくなってきました。

 

これもテクノロジーの進歩や産業構造の転換などを含めた生産性向上により引き起こされたことです。

 

今も職人を食い扶持にすることは一応可能ではありますが、昔のほうが待遇が良かったことは間違いありません。 

 

全体で見れば生産性向上で得する人が多い

 

時代によって、今まさに得をしている人もいれば、一昔のほうが恩恵を得られていた人もいるという話もしました。

 

大谷翔平選手の場合は  今>昔>大昔  の順で待遇が良いのに対して

 

昭和の職人さんの場合は 昔>今>大昔  の順で高待遇でした。

 

個々によって色々ですが、重要なのは生産性向上によって職業の選択肢が大幅に広がったことです。

 

それだけ、自分にマッチしたキャリアを歩める確率が上がったというわけです。

 

農業をやらないと生活できなかった昔と比べると、時代の変化によって多少損得はあっても全体として見たら大幅に現代は良くなりました。

 

格差拡大が問題となることもありますが、生産性向上により遥かに昔の人より良い生活を送れていることも忘れてはいけません。

 

例えば、藤原道長は、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思えば」という有名な句を残しているほど人生の春を謳歌しました。

 

しかし、いくら彼に権力があろうが、現代の一般人より良い生活をしていたとは思えません。

 

保存技術が乏しいためフレッシュな食材を入手することが困難で、調味料の種類も少ないため食べ物は確実に現代より不味いでしょうし、娯楽もさほど多くありません。

 

権力者と言えども所詮は昔のことなのです。

 

 

思想も進歩する

 

精神的な進歩により迫害されていた人が救われるケースがあります。

 

中世ヨーロッパにおける魔女狩りも、魔女扱いされた人が殺されていました。

 

理由は黒死病(ペスト)など諸説ありますが、ともかく何かの原因を誰かに押し付けようという発想です。

 

LGBTの生産性でいえば、少子化問題LGBTの人たちのせいにしたがっている人がいるわけですね。

 

他の差別で言えば、人種差別はなくなったとは言えませんが、黒人が奴隷として扱われていた頃と比べると格段に改善しております。

 

食糧問題だけでなく、思想の進歩によってもこれまで迫害されていた人の待遇が改善したと言えるでしょう。

 

 

既得権益が脅かされた時には反発が起こる

 

今より過去のほうが恵まれていた人がいるのは仕方ないことです。

 

社会は変化するものなので、新たな進歩により陳腐化してしまう部分があるのは避けられません。

 

最近だと、AIにより仕事を奪われると脅威に思っている人はいるでしょうが、今に始まったことではありません。

 

産業革命により、手織りではなく機械織りの織物がイギリスで生まれました。

 

当時の職人たちは、自分たちの職が失われるのではないかと思い、機械を破壊するという暴挙に出ました。

 

これをラッダイト運動といいますが、既得権益が脅かされた場合には反動が起こるのが世の常です。

 

社会が変革するときには守旧派からの反発があるのは仕方ないこととも言えますが、今LGBTの人が直面しているのもそこなのかもしれません。

 

もっと前はLGBTという言葉すら存在しなかったわけですからそこから考えると進歩したと言えるでしょう。

 

 

 

感情のぶつかり合いは泥沼の宗教戦争と化す

 

LGBT否定派も今回の件で生産性を持ち出してはいますが、実は税金を計算したわけではなく感情で言っているだけなんですよね。

 

生産年齢人口のうちLGBTの人が何%増えたらどれだけ社会の生産性が落ちるとか、そういったデータは出ておりません。

 

LGBTは気持ち悪いという感情からスタートして生産性という理由は後付けに過ぎません。

 

一方、LGBT側の人たちは、自分たちを尊重して欲しいところから発言しています。

 

要するに、LGBT問題は感情と感情のぶつかり合いから生じているわけです。

 

感情と感情のぶつかり合いというと宗教戦争がそうですが、双方にとって悲惨な末路を辿りがちです。

 

代表的なものだと、ヨーロッパで起こったカトリックVSプロテスタント三十年戦争があります。

 

領土や資源が欲しくて戦争を起こすのなら、互いに手打ちにするポイントがあるため泥沼の戦いになる可能性はさほど高くありません。

 

ずっと続けると勝っている側にとっても負けている側にとっても損するだけなので、決着がある程度ついたら条件を話し合って講和します。

 

宗教戦争では相手を根絶やしにする勢いで戦争をするものですから、焼け野原になってしまう危険性が高いと言えます。

 

政治と宗教を分ける、政教分離という考えもここから生まれました。

 

宗教戦争は誰にとっても割に合わないものなのです。

 

それなら相手を説得したらいいじゃないか、と思うかも知れませんが、そう甘くはありません。

 

感情を持って相手の感情を組み伏せることは不可能だからです。

 

ここで「焼き場に立つ少年」という有名な絵で考えてみましょう。

 

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敗戦直後の日本で撮られた写真です。

 

戦争の悲惨さを伝えるものとして扱われており、この写真を見ると戦争を起こしてはならないと思う人が多数派のようです。

 

多数はという点では、見た目と中身の性が一致していて好きになる相手が異性というLGBTではない人たちと同じです。

 

写真を見て戦争は悲惨だから二度と起こしてはいけないと思うことに、理屈は全く絡んでおらず感情論です。

 

この写真を見て、「この子を可哀想な目にあわせて鬼畜米英ども許さん。次こそは根絶やしにしてくれる。」という感情を抱く人に対してあなたはどう対応しますか。

 

そんなやついないでしょ、と否定するのは、LGBTを差別する人たちと変わりありません。

 

LGBT否定派だって、同性を好きになるやつなんておかしいでしょ、と本気で思っているわけですから。

 

感情と感情がぶつかり合うとどこまで行っても平行線を辿る可能性があることを、感情論を持ち出す時には忘れてはなりません。

 

打算的に講和条約を結んだほうが双方にとって被害が少なくなる場合もあります。

 

 

今できることは生産性向上

 

LGBT否定派が感情論を持ち出してきている以上、LGBT容認するよう感情に訴えかけるだけでは解決しないと断言しておきます。

 

LGBTが認められる最大の近道は、生産性向上です。

 

再生医療ブロックチェーン、宇宙開発など現代で花形と言えるテクノロジーの開発はありますが、他にも進歩の余地のある領域は色々あるでしょう。

 

ほとんどの人には知られていないことであっても、各々が頑張ることで少しずつ前に進んで行けるはずです。

 

社会が進歩すればそれだけ多様な人が生きやすくなるわけですから、LGBTの人も行きやすくなる可能性があります。

 

ですから、今できることは社会全体の生産性向上に取り組むことなのです。

 

LGBT否定派と全面戦争してもそれで解決するわけではありません。

 

LGBTが徐々に認められるようになったとしても、時間とともに生産性が向上したおかげであって全面戦争した人のおかげではありません。

 

現時点でLGBTの人たちは理不尽な扱いを受けることも少なくないでしょうから、降りかかる火の粉は払わねばならないこともあるでしょう。

 

しかし、それが本質ではないのです。

 

ここでの必要な生産性向上はラディカルなものです。

 

子どもの数を増やすとか、ごくごく狭い意味での生産性ではありません。

 

結論としては、取り敢えずお仕事頑張ろうということになっちゃいますね。