健康を気にしすぎると人生台無し
健康を気にする方は世の中に多くいますね。
サプリメントや健康食品を摂取してみたり、食事や運動に気を使ったり、はては代替医療や民間療法や明らかな詐欺に手を出してみたり。
健康に気を使うことそのものは悪いことではありません。
しかし、健康を過剰に気にすると人生が台無しです。
そもそも健康でいる意味は一体何でしょうか。
そこを考えずにいると目的と手段が逆転しちゃうんですよね。
健康でいる意味は人生楽しむため
健康と逆の状態というと病気ということになりますが、病気の人は「治ったら○○したい」とよくおっしゃられます。
内容は人それぞれですが、いずれも人生を楽しむことなんですよね。
健康は人生を楽しむためにあります。
まずはこの大前提を忘れてはいけません。
手段と目的が逆転してはいけないんですけど、逆転している人がしばしばいるんですよね。
同じように病気になったとしても、今やれる範囲で趣味をやる人もいれば、病気が悪化しないかいつも気にし続けて普段の食事や生活習慣をガチガチに縛っている人もいます。
後者は手段と目的が逆転しています。
本人は必死なんでしょうが、これじゃあ何のために生きているのかわかりません。
実際に医者やっていると同じ病気でもそれに対する患者の反応は人それぞれだなと実感します。
健康にかけるコストとリターン
健康は人生における手段です。
目的化してはいけませんが、健康を気にすることそのものは重要。
そこで健康にかけるコストとリターンを考える必要が出てきます。
極端な例え話をしますが、ジョギングを長時間すればするほど健康になれてかける時間次第では病気も治ると仮定しましょう。
かといって、1日16時間ジョギングするとかできますか。
どう考えても馬鹿げています。
そんなことをしていたら人生の殆どがジョギングで潰れてしまい、ジョギングが好きで好きでたまらない人しか得しません。
時間は有限で、1日は24時間というのはニートもイーロンマスクも共通です。
健康に気を使うにしても、トータルで人生を豊かにする程度まで抑えておくべき。
人の人生は有限です。
コストパフォーマンスまで考えて健康に気を使った生活は以下のようになるでしょうか。
飲酒喫煙は控えて、適度な運動と睡眠、健診はきちんと受けて必要なら病院に定期的にかかる程度になるでしょうか。
コストパフォーマンスを意識すると、病気を気にして不安になることはありがちなことですが無駄以外の何物でもありません。
コストはかかるのにリターンはゼロです。病気を心配して病気が治るなら病院は今頃なくなっています。
あとは高額な健康食品の類もムダです。
水素水が百歩譲って少しばかり効果があるとしてその値段に見合ったものではありません。
そのお金があるなら他のことに使って人生楽しんだほうが良いじゃないですか。
代替医療を自称しているものもムダです。
詐欺の類ばかりの中で効果があるものがわずかにあったとしても、有効なものを見つけ出して実践するのにかかる時間やコストはバカ高くてコスパが著しく悪いんですよね。
そんなことしている暇があったら病院で受けられる医療を受けて余ったお金と時間で他のことをやったほうが人生楽しめるじゃないですか。
健康という呪縛から開放されてみる
健康というのは実にありがたいものですが、皮肉にも医療の発展により価値が歪められているという側面があるんですよね。
水や空気といった当たり前に存在するものをありがたがる人がいないのと同じようなもの。
健康に対する意識が低くなりすぎてクソみたいな生活で体を壊しても病院行けば完全に元通りになると思っていたり、逆に健康に気を使いすぎて人生ががんじがらめになっていたり。
あるいは独自の解釈で斜め上の行動をしたり。
実際にいた糖尿病患者なんだけど、砂糖は体に悪いと学習しても甘味料はOKと解釈して甘味料ドバドバ入れて青汁とかの健康食品摂取してたのは凄かったな。
— 底辺理三 (@shameofirongate) August 24, 2018
言ってることの意味がわからんかったよ。
健康を歪めて認識すると人生損します。
健康を無視して体を壊すのは論外として、あくまで人生が主であって健康は人生を楽しむ手段としてとらえるべき。
世にはびこる健康信仰は確実に信者の人生を蝕んでいます。
そこにつけこむ悪質な業者がいて一部の人は藁をも掴む思いで騙されてしまうんですよね。
コストパフォーマンス考えると普通の保険診療を受ける以外ありえないわけですよ。
エセ医学の被害者はバカにされがちですが根っこは健康信仰にあるんですよね。
人はいずれ死にます。これは普遍です。
健康という呪縛にとらわれている人は人生を楽しむという視点を持ってはどうでしょうか。
7つの習慣で有名なコヴィー博士も「影響の輪」と「関心の輪」という2つの言葉を持ち出して、どうにもならないことは諦めてしまえ(意訳)と述べております。
どうにもならないことに不平不満を言っても不幸になるだけですよ。