QOLのため時間とお金が欲しい医者

アーリーリタイア、FIREを達成して趣味として仕事を

FIREムーブメントは資本家に抗う現代のプロテスタンティズム

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医師のキャリアプランとしてFIREムーブメントを紹介します。

 

 前回に引き続き資本主義に関わるお話。

qoltimeandmoney.hatenablog.com

 

マルクス経済学の考えでは労働者は賃金として労働力の再生産に必要なお金ぎりぎりしか受け取れないため、基本的にはハードワークして頑張っても楽になりません。

 

負担の大きい仕事をすればするほど疲労やストレスが溜まるため解消するためのコストも大きくなるわけです。

 

自分が労働者である限りは楽になれないという夢のない話ですが、労働者でありながら労働→回復→労働→回復→の無限ループから抜け出そうとする人たちの動きがここのところ注目されるようになりました。

 

FIRE(Financial Independence, Retire Early)です。

 

www.gizmodo.jp

 

20代の頃から金をひたすら貯め込み早期に経済的独立を獲得するライフスタイルです。

 

FIREの実践者は贅沢より経済的な自由に重きを置くわけですが、そんな彼らの生き様は宗教改革におけるプロテスタントにも通じるものがあります。

 

社会科学における名著中の名著である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー著)に触れて話を進めていきたいと思います。

 

 

岩波文庫版は翻訳が読みにくいため読むなら日経BP版を推奨

 

 

 

 

 

 

中世ヨーロッパにおける自由と現代における自由

 

宗教改革におけるプロテスタントが流行した背景ですが、ローマ教皇ヒエラルキーのトップとするカトリック教会が甘い汁を吸いまくってて、まあ酷い状態だったわけです。

 

罪を犯した者は地獄行きと脅しておいて、一方では「これを買えば救われるよ」と言って高額な免罪符を売り込んでそこら中の養分を嵌め込んで金儲けをし、聖職者は神に仕える者として童貞処女を貫かなければならなかったにも関わらず、子供をレイプするなど既得権益を盾にやりたい放題していたんですね。

 

聖書にはイエスの教えがありましたが、カトリック教会サイドはこっちが解釈して教えてやってるんだからお前らヒラの信者たちはありがたく従っておけ、という態度で、カトリック教会に搾取されていると感じた人たちの堪忍袋の緒がとうとう切れてしまったわけです。

 

カトリック教会からの自由を勝ち取るため、プロテスタントたちは聖書中心のキリスト教を立ち上げました。

 

現代の労働者も資本主義社会に雁字搦めになっているため、一部の人は自由を勝ち取ろうとしますが、そこから抜け出すにはとにかくお金が重要です。

 

というのも、ご飯を食べて寝てと生活していくためにはどうしてもお金が必要で、働かないと生活できないから嫌な仕事を渋々やらざるを得ず、しかも給料は労働力の再生産にかかるコストに影響されるため、ただ仕事するだけでは絶対に豊かになれないんですよね。

 

とてつもない難敵に果敢に立ち向かう点はプロテスタントとFIREの共通点と言えるでしょう。

 

 

最大の武器は病的なまでの禁欲的生活

 

結論から言うと、カトリック教会、資本家といった巨大な敵に太刀打ちする最大の武器は病的なまでの禁欲的生活です。

 

FIREを成し遂げる人の生活は凄まじくストイックで、仕事をガンガンこなして高給を得ながらも学生のような慎ましい生活を送って収入の殆どを貯蓄や資産形成に回していきます。

 

普通の人の感覚なら、当然労働力の再生産をしないと明日から仕事をすることができないため、そんな生活つまらなくて耐えられないとなるわけです。

 

それでも、FIREの実践者は労働から卒業して何としても自由を勝ち取るんだと強い意志を持って労働力の再生産をほとんど行わずしてハードワークします。

 

この勤勉さ、病的なまでの禁欲とも言える生活っぷりはプロテスタント、特にカルヴァン派にも共通していると言えます。

 

話を変えますが、資本主義社会というと贅沢や快楽といったイメージを持たれる人は多いでしょう。

 

現に快楽主義が資本主義社会の原動力になっていると捉える考えも存在し、マックス・ウェーバーと同時期に活躍したヴェルナー・ゾンバルトも「恋愛と贅沢と資本主義」という著作を発表しました。

 

しかし、マックス・ウェーバーは勤勉禁欲こそが資本主義を生み出したという逆説を大胆にも打ち出し、現在はヴェルナー・ゾンバルトよりも高く評価されております。

 

ここで重要なのがカルヴァンが唱えた予定説です。

 

宗教改革までは罪を背負った人でも償うこと(実際には大金はたいて免罪符を購入する)で天国へ行けるとする考えが一般的でしたが、予定説では神の恩寵を受け救われる者とどうあがいても救われない者の2種類があらかじめ決まっていると考えます。

 

これまでと違って教会や他人にすがっても救われるわけではないため、人々は自分は救われる側なのか否かと孤独に思い悩むこととなります。

 

救いとはなんぞや、神の恩寵とはなんぞや、と。

 

当然のことながらうんうん唸っても結論が出るわけでもなく、開き直って自分ができることを頑張ろうとなるわけです。

 

カトリックでは祈りを捧げることが重要視されましたが、プロテスタントでは教会の権威そのものを否定しているため仕事に打ち込むことが重要視されました。

 

人にはそれぞれ天職があってそれに打ち込むことが良しとされ、仕事で良い成果を出せるとこれこそが自分が救われる側の人間の証拠なのではないかと感じることができるため、プロテスタントの人々は熱心に仕事に打ち込みました。

 

で、仕事の成果を最も客観的に評価できるものはお金なんですよ。

 

単純にパンを200個作って売れば100個売るのと比べて売上が倍になるわけです。

 

溜まったお金の使い方に関しても神の恩寵を受けているか否かが問われ、くだらない散財をするのではなく設備投資をしてもっとパンを効率よく焼く方向に人々は向かいます。

 

再投資に積極的にお金を回すことでより多くの成果が得られ、それを見て「ああ自分は神に選ばれている者なんだ」と安心できると。

 

神の恩寵を受けているのか否かの判断材料がそれくらいしかないわけですが、毎日勤勉に働いている者と毎日ぐーたらして飲酒している者のどちらが神の恩寵を受けていると言えるでしょうか。

 

真実は誰にもわかりませんが、普通の感覚なら前者の勤勉な人のほうが可能性が高そうとなるはずです。

 

あらかじめ救われる者と救われない者が決まっているという予定説は、単純に考えれば努力しても無駄という考えにも繋がる可能性があり怠惰な人間を量産しそうですが実際にはそうなりませんでした。

 

今風に言えば、遺伝子で人の能力は決まっているから努力に意味はないと諦めている人になるでしょうか。

 

こちらは遺伝子ガチャで人の能力がだいたい決まってしまうという身も蓋もない事実とその対策について。

qoltimeandmoney.hatenablog.com

 

予定説のあたりは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中でも特に理解が難しい逆説ではありますが、ざっくり言うとカルヴァン派の教義により仕事にフルコミットする人が増え、意図せずしてお金持ちが増えてしまったということです。

 

その後、資本主義社会が発達すると勤勉に働くことができない人は生き残れなくなり、もともとは自分自身が望んで禁欲的に仕事していた人しか仕事にフルコミットのが、そうでもない人も働かざるを得なくなってしまいました。

 

プロテスタントはいわばスタートダッシュを決めて資本も溜め込んでいたため、カトリック教徒と比べて資本主義社会で重要なポジションを獲得することになります。

 

例えば、WASPという言葉がありますが、これはアメリカ社会を牛耳っている人たちに多い属性であり、白人、アングロサクソンプロテスタントです。

 

 

FIREはこれからの時代を牽引していくか

 

プロテスタントは禁欲的生活とハードワークで手に入れた大金を武器に世界で大きな影響力を持つこととなりました。

 

FIREは大金を手に入れるわけではありませんが、平凡な労働者では逆立ちしても勝てないほどの自由な時間を武器にすることができます。

 

FIREに否定的な人は、「節約だけとかつまらない」とか「若い頃に我慢とか本末転倒」とか色々言うでしょうが、FIREのライフスタイルに本当に憧れるのならそんな俗物を気にしている場合じゃないんですよ。

 

企業に飼われる形でしか生活できない労働者と違って、資本家という強者に一撃を食らわせる可能性を持っているのはFIREを成し遂げた人だけなのかもしれません。

 

プロテスタントは絶大な財力を武器に世界を牛耳りました。

 

FIREは果たしてどうでしょうか。

 

2019年の今現在ではFIREを達成した人より道半ばの人のほうが圧倒的に多いと考えられ不確定要素はありますが、彼らの今後が楽しみです。

 

現に若手医師の中には毎月50万円とかを貯蓄や投資にまわしている人もいますし。